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  アメリカ歴史散策(その5)

             オマハ
                              
 アメリカの中西部と呼ばれている地域には広大な平野が広がっている  アメリカのほぼ中央にあるネブラスカ州は コーンと牛肉の州と呼ばれている この州最大の都市オマハから西のユタ州に向かってバス旅行をしたことがある omaha01.jpg  時速60マイル(約100キロ)で走 っても走ってもトーモロコシ畑や小麦畑 が広がっていた どこからでも山が見え る日本に慣れた眼には 海の中を漂って いるような不安感を感じる  西隣のワイオミング州のシャイアンや  ララミーに近づいて ようやく山並みが 眼に入ってきた この間 直線距離にし                  て1000キロ近くありそうである   西部開拓史以前の時代 このあたりはバッファローやインディアンが走り回 っていた地域の一部である 自給自足のインディアンは広大な平原を耕地に作 り変える必要がなかった  ネブラスカから南に続くカンザス コロラド オクラホマ テキサス一帯の いわゆる「大平原」が開拓されたのは比較的新しい 南北戦争後の1860年 代から1880年代にかけてである アメリカの開拓史にはフロンティアとい う言葉が出てくる フロンティアとは 1平方マイル(1.6キロメートル四 方)あたりの人口が6人以上と以下との境界を指しており そのフロンティア は1880年代に消滅したようである フロンティアの消滅は インディアン の衰退をも意味している  インディアンとの凄惨な戦いに決着をつけた秘策は バッファローを消滅さ せることであった インディアンの多くはバッファローの肉と毛皮で生活を支 えていたからである 1860年代には1500万頭ものバッファローがいた が 1870年代に大量殺戮が行われ 1880年代にはわずか数千頭にまで 激減した バッファローを殺したのは 広い放牧地を必要とする牧畜業者だっ た アメリカの畜産業界は 大平原の開拓によって発展した それはアメリカ 国内での需要はもとより 牛肉を好むイギリスへの輸出市場が大きかったため である スコットランドやアイルランドでの牛肉供給は限界に達していた ア メリカの畜産業界には 牛肉の大量消費国だったイギリスから大量の投資が行 われた (「脱牛肉文明への挑戦」ジェレミー・リフキン ダイヤモンド社刊 より)  日本で 明治時代に農業技術を指導した群馬県出身の船津伝次平という人が いた この人は「牧畜は広大な牧草地を必要とするが 米作は少しの耕地でよ り多くの人を養う食料を生産することができる」旨を述べている  今から百年以上前 アメリカ中西部の大平原が開拓された頃のことである omaha02.jpg アメリカ土産のひとつに「ドリーム・キャッチャーズ (Dream Catchers)」というものがある インディアン の伝統的なお守りで 丸く張った網にトルコ石 銀 真珠 などをちりばめたものである  小さいものから大きいものまで 10〜100ドル位で売 られている   これはいわゆるアメリカンドリーム(野望)を掴み取る ことを意図したものだと思ったが そうではなくて 悪い 夢を捕まえて取り除くことにより 平穏な生活を実現する ことを祈願するもののようである 自給自足のインディアンの知恵であろう  粥をすすって飢えをしのいでいる私は 大きなドリーム・キャッチャーズを吊 り 悪夢にうなされない生活を送っている ------------------------------------------------------------------
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